【1474年~1546年】
加賀の高田派門徒が守護富樫幸千代と結び、本願寺門徒と争う。富樫政親は本願寺門徒を味方につけて幸千代を破り、加賀国守護となる。加賀の守護富樫政親が高尾城を一向一揆に攻められ落城、自害。のち加州三ケ寺(若松本泉寺・波佐谷松岡寺・山田光教寺)や本願寺が加賀国を支配する。
加州三ケ寺派(地元の土豪たち)と本願寺派(越前グループ)の主導権争いで、本願寺派が勝ち、本願寺の直接支配下となる。金沢御堂(尾山御坊)が建てられる。
【1580年~1584年】
織田信長の部将佐久間盛政が金沢御堂を攻め落とす。前田利家、織田信長より能登を与えられ、のち七尾に小丸山城を築く。越前賤ヶ岳の合戦、前田利家ら与力武将が戦線離脱。前田利家が羽柴秀吉より石川・河北2郡を加増され金沢城に入城。末森城が越中の佐々成政に攻められ、撃退する。
【1588年~1638年】
キリシタン大名高山右近が前田家に仕える。利長、客将の高山右近に内惣構堀を築かせる。芳春院(前田利家夫人まつ)人質として江戸に赴く。徳川秀忠の娘珠姫が3歳で前田利常(8歳)に嫁入り後、金沢城天守閣、落雷で焼失。以後天守は再建されずのち利常、家臣の篠原出羽守に命じ、外惣構堀を築かせる。
【1639年~1748年】
幕府が一国一城の制を定め、加賀能登では金沢城のみとなる。利常隠居し、光高が四代藩主となり富山藩・大聖寺藩ができる。小松城が認められ、利常の隠居城として金沢城との併存が許可される。その後、光高急逝。綱紀(3歳)が五代藩主となり、利常が後見する。大槻朝元(伝蔵)失脚し、越中五箇山に流される。(加賀騒動)
【1868年~1869年】
京都方面で幕府と薩摩・長州の間に戦いがおこり、11日に前田家は徳川方に味方するために出兵。鳥羽伏見で幕府軍が敗退し朝敵となったという知らせを受け、方針を変更。送り出した兵を呼び戻し、朝廷側につくことになります。その後、官軍の北陸鎮撫軍に加わり、越後の戦いに参戦。加賀は金沢藩となる。(大聖寺は大聖寺藩に)。14代藩主前田慶寧(よしやす)は金沢藩の藩知事に任命。翌々年、廃藩置県が実施され、官選知事(金沢県大参事)内田政風(薩摩出身)の赴任。
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| 尾山神社神門
尾山神社は、加賀藩初代藩主前田利家を祀る神社として明治6年(1873)に創建
国指定文化財として、昭和25年8月29日指定されました。
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金沢城
天明7年(1787)前田利家の居城として金沢城建立。
現在は金沢城公園として整備され、五十間長屋や菱櫓なども復元されました。
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日本武尊像
(やまとたけるのみことぞう)
日本で最初に建てられた銅像
完成:1880年(明治13年) |
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